浄土真宗の教え2

人生の節目には、その意義を確かにし、人間としての自覚を深めるため、宗教による儀式が持たれています。
しかし私たち、真宗門徒はそういう場合、便宜や都合で他の宗教の儀礼を行ったりしないよう、心がけましょう。
仏式の行事は、ただ形だけの儀礼ではなく、深い教えの裏づけに基づいて、その人の一生を意義あるものにするよう計画されております。

初参式

初参式
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子どもが生まれたことを喜び、お寺にはじめてお参りして受ける式です。
1ヶ月から100日目ぐらいまでの間の適当な時期に連れて参ります。

お寺によっては、その年に生まれた子どもを一緒に集めて初参式をし、みんなに紹介し、お祝いするところもあります。

誕生日 入学 卒業

誕生日 入学 卒業
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誕生日や入学、卒業の時には、家族で一緒に仏前に参り、お祝いするとともに成長の思い出や将来について話し合いましょう。

※浄土真宗必携より

結婚式

結婚式

結婚という人生の新しい門出を、ふたりが仏前に誓い合うことはすばらしいことです。結婚式のことを華燭の典といいますが、その名にふさわしく厳粛華麗な式典を持つことができます。

帰敬式(おかみそり)

帰敬式は、浄土真宗の門徒として、仏祖の前に帰敬の心を表す式で、「おかみそり」ともいわれています。
親鸞聖人のお得度にならって、ご門主様から「おかみそり」を受け、法名をいただきます。
本山において行われますが、場合によっては他の場所で行われることもあります。

※浄土真宗必携より

通夜・葬儀

  • 深い縁に結ばれた人との、人生最後の厳粛な別離の儀式ですから、意義深くつとめます。
    私たちは、ただ形式的に葬儀を行うのでなく、また見栄にとらわれてむやみと華美にわたることなく、浄土真宗のみ教えに反しないよう行わねばなりません。なき方をしのび、浄土に往生させずにはおかぬ阿弥陀如来の大悲を仰いで、心から念仏しましょう。
  • 葬儀にまつわりがちな迷信やまじないにとらわれてはなりません。
  • 亡くなられたら、仏壇に灯明を点じ、香をたきます。花は樒(しきみ)か青木のものと、とりかえます。
  • 遺体を整え、顔を白布で覆い、釈尊の入滅にならって頭を北にするならわしがありますが、方角は家屋の都合で、決してこだわることはありません。
  • 遺体の前には、蠟燭、お花、供物などの荘厳はしません。荘厳をする場合は、御本尊を安置します。
  • 通夜は、近親知友が集まっておつとめをし、故人をしのび静かにすごしましょう。
  • 自宅から葬場へ出る時は、出棺勤行をします。それは我が家の御本尊への最後のお礼です。勤行は棺の正面でなく仏壇に向かっていたします。
  • 式場には、必ず御本尊をお迎えします。
  • 勤行は御本尊に向かって行います。
  • 荘厳は紙華(しか)一対、香炉、蝋燭立一対(蝋燭は銀か白)の五具足とし、打敷(銀襴か白)をかけ、供物は赤色をさけ、焼香卓を置きます。

※浄土真宗必携より

法事

  • 命日から数えて49日間を中陰の期間とし、その間、7日目ごとに仏事をつとめ、49日を満中陰といいます。
  • 死亡の翌月の命日を初月忌といい、おつとめをします。また百か日にも勤行をいたします。
  • 翌年から祥月命日に行う仏事を、年忌または年回法要といい、右のように数えます。
  • 法事は、死者への追善供養ではありません。命日を縁として故人をしのび、経典をいただき、仏徳を讃嘆し、仏恩を喜ぶ行事で、聞法を大切にいたします。
  • 法事の本質を外して、飲食やお土産ばかりに重点がかからぬよう注意しましょう。

※浄土真宗必携より

教団

私たちの教団は、名称を「浄土真宗本願寺派」(略して本派)といいます。
本山は、龍谷山 本願寺(西本願寺)です。

浄土真宗の教章

真宗教団連合

宗派名 本山
浄土真宗本願寺派 西本願寺
真宗大谷派 東本願寺
真宗高田派 専修寺
真宗佛光寺派 佛光寺
真宗興正派 興正寺
真宗木辺派 錦織寺
真宗出雲路派 毫摂寺
真宗誠照寺派 誠照寺
真宗三門徒派 専照寺
真宗山元派 證誠寺

本願寺派教勢表(平成16年1月1日現在)

本願寺派教勢表(平成16年1月1日現在)

浄土真宗を開かれたのは親鸞聖人です。
しかし開祖といっても、自分でひとつの宗旨を開こうなどという意志をもって教えを広められたものではなく、あくまでみずから阿弥陀如来の本願を信じ、そのお慈悲を生きるひとりの行者として、また恩師源空上人を慈父のように慕い、そのよき弟子として終始されたことは、「本師源空あらはれて浄土真宗をひらきつつ」とうたわれた『和讃』にもあきらかにうかがわれます。
また「浄土真宗」という言葉にしても、ただ単にひとつの宗派をあらわす宗名としてではなくて、よき師である源空上人から承った、真実の教えをあらわされたものに他なりません。
人間というものは、少しでも人から褒められると、とかく思いあがるものであり、まして人の師と仰がれるようにでもなれば、弟子の数をひとりでも多く数えたい名利欲や、「我が弟子である」という執われ心が起こりがちなものです。
ところが聖人は、立派な弟子がたくさんあったにもかかわらず、「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」(歎異抄)といい、「なにごとををしへて弟子というべきぞや。みな如来の御弟子なればみなともに同行なり」(口伝鈔)ともいっておられます。
そして自分自身では、真宗の正しいみ教えは、7人の高僧方が受け伝えてくださった賜物であると高く仰いで、「七高僧はねんごろにも釈迦のみこころあらわして、弥陀の誓いの正機をば、われらにありとあかします」とたたえ、「このみさとしを信ずべし」(しんじんのうた)という姿勢を生涯つらぬいていかれました。
そのように執われのない謙虚な人柄は、かえって多くの人々の信望と尊敬とを集め、「同一に念仏して別の道なきがゆえに、遠く通ずるに、それ四海の内みなきょうだいとするなり」(往生論註)というように、ひとつの教団が自然に形作られ、それが今では「浄土真宗」という一大教団にまで発展してきたのであります。
そしてその「ご開山様」として700余年この方、幾千万の人々から敬い慕われている人こそ、我が親鸞聖人であり、このことは浄土真宗という教団を知る上で、きわめて重要なことであるといえましょう。

※浄土真宗必携より

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